妄想ライフクリエイターMiokkuruの“Tasai・ Creative Life”

妄想を活かしながら、物心ともに豊かで幸せな人生を創造する。

過熱ぎみの『風の時代』について考える


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妄想ライフクリエイターのMiokkuruです。

 

昨年末から普通に耳にするようになった『風の時代』というキーワード。『それって何なの?』『私たちにどんな影響があるの?』と思っている人も多いでしょう。なんだか一種のブームのようで、『乗り遅れたらどうしよう…。』と焦りを感じたりしているかもしれませんね。今回は、その『風の時代』の情報について、私なりに書いてみようと思います。

 

 

風の時代とは?

西洋占星術で言われているもので、皆さんの知っている12星座の性質を、『(牡羊座・獅子座・射手座)』『(牡牛座・乙女座・山羊座)』『(双子座・天秤座・水瓶座)』『(蟹座・蠍座魚座)』の要素に分類した4区分(エレメンツ)のうちの『』を指しています。

 

今回は、風のエレメンツのひとつでもある『水瓶座』で、社会の動きを表す天体でもある木星土星のグレート・コンジャンクション(ふたつの天体が20年に一度、0度に重なる)が起こったのですが、これまでは土のエレメンツ(前回は2000年に牡牛座で起りこりました)で起きていたその現象が、風のエレメンツに変化(ミューテーション)したことから、『風の時代に変化した』と言われているのです。


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土の時代から風の時代へ

ひとつ前の『土の時代』は、物質主義であったことを表しています。私たちが安定を好み、堅実的な価値観を持って日々のあれこれを選択しながら生きてきたのは、この背景が関係しているのです。

 

そして『風の時代』では、情報を取り入れたり、コミュニケーション能力を発揮しやすい時代とも言われていますよね。様々な情報発信ツールが生まれていることや、誰にでも発信しやすい環境が整っていることもそうでしょう。それによって、新たなコミュニティと、より価値観の合う人とのつながりが生まれています。

 

先ほど述べたように、現在は『水瓶座』の独創的・個性的な価値観を大切にしやすいという面が、色濃く出やすいとも言えますよね。だからこそ、『時代のグラデーションを生きている』と表現されている通り、いきなり次の時代に対応できるわけではないので、様々な情報や価値観の違いを、自分自身がどう受け止めていくかということが、大切になってきます。

 

ここから先は、私自身の主観で書いていきますね。

 

私に個性なんて…と不安にならないで

 

私自身もこのブログで、『自分の個性や感覚を大切に』という発信をしていますが、『個性なんてない』と不安になる必要はありません。

 

今、たくさんの情報が、風に乗って拡散されているような状態ですが、それを受け取ってどうするかを決めるのは、あなた自身です。そして、全ては自由。逆に、あなたの選択を周囲が受け入れるかどうかも、自由なのです。『個性』を『価値観』に置き換えてみるといいかもしれません。『個性』を何らかの『能力』と捉える必要はないんですよ(*´ω`*)

 

私はこの数カ月間、関わる人、情報を絞り込みながら、自分の思考を整理するために情報発信してきました。『スピリチュアル嫌いでスピリチュアル好き視点からの発信』をすることは、私を表現することでもあります。この価値観を受け入れる人がいるかどうかで発信するのではなく、やりたいからそうすると決めただけなんです。これが素直な自分の状態なんですよね。おかげで、周囲の価値観に左右されず、本来の素直な自分の状態で在ることが、個性だと感じるようになりました。


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俯瞰してみる

 

風の時代に突入したことで、同時に『変化』というキーワードを見聞きすることも多いと思います。私自身も、変化すること自体はドキドキしながら受け入れていますが、変化する必要性に迫られていないなら、タイミングではないんだなと判断すればいいいと思っています。変化するタイミングって人それぞれですが、私の経験上、心身の健康状態を基準に判断してみるのがいいのかなと思います。抵抗すればするほど『だから、いつものパターンで選択するのやめなさいよ!!』という状態に陥りやすいです(;^ω^)

 

 

『変化』のキーワードと共に『転職・起業・結婚・離婚・移住』などに関しても、いつも以上に反応してしまうかもしれませんが、これらは時代が変化しなくても、人生の何らかのタイミングで向き合うテーマですから、極端な判断をしないことも大切です。他人の価値観にのまれていませんか?

 

時代の波に乗らないとどうなるの?

 

金融・起業関連では、こういった『時代の波に乗り遅れるな』的な発信は多いですよね。確かにそういった面もあるでしょうが、冷静に考えてみると、その情報発信者の収益につながるキーワードでもあるわけです。それを踏まえた上で、いろんな人が起こした波に乗るかどうかを判断すればいいですよね。ただ、情報発信者だけではなく、情報を受け取る私たちにも、それを選択した『責任』 というものが生じることは、忘れないようにしたいですね。

 

miokkuru.hatenablog.com

 

波に乗るも乗らないも自由です。だからといって、取り残されることもないでしょう。なぜならば、『風』には柔軟性という性質があります。波に乗らないと選択する人のための情報だってあるはずです。ルールを重んじてきた土の時代の社会とは違った、柔軟な対策が生まれても不思議ではありません。第一、あなた自身が柔軟に対応できるようになるかもしれませんよ?(*´▽`*)


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自分らしく生きるとは、自分が大切にしていることを知ること

自分らしさって、みんながこぞって求めているものだと感じています。時代が変化したという事実に後押しされて生き方を変える人もいるでしょうし、自分らしさについて考える時間を大切にしている人もいるでしょう。

 

自分らしく生きるって、自分が何を大切にして生きていたいかだと思います。それは誰にもわからない、あなたの内側だけが知っていることであり、あなたの判断で自分を生きることではないでしょうか?

次の水の時代を見据えながら風の時代に乗ってみる?

 

私自身も『風の時代』にフォーカスしてばかりで、他のエレメンツの時代については意識が及びませんでした。それぞれの質を知り、私たちの生きる時代の流れに乗るのもいいですよね。知らずに乗らないよりも、知った上でどう取り入れていくか、私も試してみようと思います。

 

 

私が学んだ星読みの無料講座を主催されている『&U』さんが、6月23日(水)から「時代の流れにのるエレメントワーク WEBトークライブ」を無料で開催されるのですが、開催前にも、さらにワークを受け取ってもらいやすいようにこれからの時代への想いを伝えたい!と「その瞬間だけライブ」が配信されています。


(※このライブはその瞬間だけ公開し、それ以降は見られない形で行っています。)
 
 
「その瞬間だけライブ」のスケジュールはこちらです↓
──────────
 
6月13日(日)20時スタート
森野おとひこさん&かげした真由子さん&やなかえつこさん
 
──────────
 
6月17日(木)20時スタート
かげした真由子さん&やなかえつこさん

 

この日の「その瞬間ライブ」配信場所が、「やさしい風を吹かせるコミュニティ」内に変更されたそうです。(コミュニティ限定のライブ配信になります!)

 

WEBトークライブに登録した方が参加できる配信なので、この機会に、WEBトークライブ登録→ FBコミュニティに参加して下さいね♪WEBトークライブへの登録URLはこちらです⇩


水の時代を見据えることで風の時代にすぅっと乗るエレメントワーク

 

 

 


 
──────────
 
6月20日(日)20時スタート
かげした真由子さん&やなかえつこさん
 
──────────
 
「その瞬間だけライブ」配信はこちらのYouTubeチャンネルにて行っていますので、チャンネル登録していただくとスムーズに視聴できますよ♪

 

watashi*ru - YouTube


 
興味を持たれた方は、よかったら登録してみてくださいね!

 

 

次の『水の時代』を見据えながら、風の時代のエッセンスを取り入れるためのWebトークライブ(無料)詳細はこちらから⬇

  6月23日(水)12時まで申し込み可能♪
sp.iroironoiro.life

 

 

いかがだったでしょうか。冷静に判断しながら、自分に必要な情報を上手く活用していくことが大切ですよね。私もそうやって、新しい時代を生きて行きます♪

 

 

 

 

 

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【白黒】と【グレー】の憂鬱


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妄想ライフクリエイターのMiokkuruです。

 

最近、自分の中にある『白黒つける』という言葉の解釈が、本来の辞書にある意味とは違う事に気付きました。

 

読み方:しろくろつける
別表記:白黒付ける

ある物事について、是か非か、よいことか悪いことか、有罪か無罪かなどを吟味した上ではっきりさせること。「白黒はっきりさせる」などのようにも言う。

引用元:Weblio辞書

URL:「白黒つける(しろくろつける)」の意味や使い方 Weblio辞書

 

 

とあるのですが、ネット上では白黒つけたい(『つけたがる』という表現の多いこと!! 笑)タイプって、あまり良い印象ではないみたいですよね。…はい、私はこのタイプにあてはまります(笑)。スピリチュアル的には良い悪いはないのですが、私の場合は、白黒つけるというのは、大切な場面で自分の意見などをはっきりさせる事でもあり、曖昧に対処する事ではないという解釈でもあります。

 

 

とにかく、『白黒とグレー』この両パターンについては様々な書き込みがあるので、今回そこには触れませんが、実は私が人間関係が苦手だと感じる理由が、ここにありました。

 

 

人間関係について自分の内側を掘り下げていくと、『白黒つける自分と、グレーを選択する人とのギャップ』というキーワードが出てきたからです。そして、それに対しての怒りと悲しみの感情が溢れてきたんですよね。グレーって、なんとなく中庸的ですが、本当にそのタイプの人もいれば、『面倒なことにはハッキリしなくていい』というタイプも存在するわけで。

 

 

私にとっては、その後者のグレーな人が、一体何を考えているのかがわからず、結局どちらに転んでも、痛みのない方を選択しているだけのように感じるんですよね。別に痛みを味わえと言いたいのではありませんが、ある意味要領がいいというか。接する人によって意見を変えたり、肝心な場面では中立を選択してみたりと、本心が掴みにくいのです。昔の私は、そんな相手の言葉が真実だと思い込んでいましたが、実際は違う事がほとんどでした。『本音と建前』という言葉もありますが、これにグレーの曖昧さが加わると、なんとなく日本社会の象徴のような気がしてなりません…。

 

 

全ての人がそうだと言うつもりもありませんが、言葉と実際の行動に矛盾がある人の存在は確かにあるんですよね。それが相手の価値観だと受け入れられなかった自分の至らなさかもと思う反面、相手の中途半端さを許す事ができない完璧主義の自分。グレーである事が、生きる上で大切だと言われても、そうは思えない自分…。被害者意識から生み出される怒りや悲しみって、結構残っているものなんですよね(^_^;)

 

 

スピリチュアルな視点では、物事には良いも悪いもないのですが、だとしたら、私は一体何を学んだというのでしょうか?

 

 

私は、毎回このパターンで傷付いていた事もあり、自分の中にある怒りと悲しみの感情を受け入れ、手放す必要がありました。相手を変えることはできませんし、自分が変わるしかありません。かと言って、自分の気持ちを押し殺す必要もありませんから『そういった価値観の人とは、距離を置いてみてもいい。』というのが、私の出した結論です。場合によっては、場所と関わる人を変えるという事になるのでしょう。

 

 

感情と向き合いながら、私には『ひとりぼっちにはなりたくない。』という、幼い頃に抱いた感情がある事に気付きました。だからこそ、変に場所や相手に執着してしまい、自分を理解してほしい気持ちを押し付けてしまう事もあったかもしれません。その場合、相手との価値観のすり合わせが上手くできていなかったんですよね。はっきりとどちらかの答えを出す事へのこだわりが、自分を苦しめる事もあるなんて。それに気付くために、敢えてグレーな人と関わる現実を引き寄せたのかもしれません(;^ω^)

 

 

例えば、私が出した結論では解決しないと思われる問題もあるでしょう。『もし、職場の人間関係がそうだとしたら??』

 

 

答えは同じです。私はその職場を離れてもいいという選択肢も用意します。これは、あまりにも意見交換が成立しないとか、何も進められない場合ですけどね(^_^;)めんどくさくてグレーを選択する人ばかりなら、働きづらいですし、チームワークなんて難しいです。同じ会社で、部署を変えられるならそうしますが、それは社内を見回せばなんとなくわかりますよね?同じような価値観、または違う価値観だとしても、目的を達成するために最善を尽くせる人と仕事を作っていく方が、私は心地良いと感じています。

 

 

自分の内側を見つめる作業って、大切だと思いませんか?本心と向き合うって、正直受け入れ難い事もあります(傷ついている自分を認めたくないとか、自分は悪くないと言い張りたいとか…)。けれど、今までのパターンを手放すには、この作業は欠かせません。

 

 

今回は【白黒とグレー】が私のテーマでしたが、相手に白黒を求めすぎない事、グレーにならなければ生きづらいと決める必要もない事を改めて確認してスッキリしたので、暫くはこれで進んで行こうと思います。その都度軌道修正すればいいですしね(^^)

 

 

 

 

 

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未来の自分の学びが過去の自分を癒やす


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妄想ライフクリエイターのMiokkuruです。

 

ついつい根を詰めて作業をしてしまう癖があり、身体からのサインを無視していた結果、眼精疲労と肩こりによる頭痛で、強制的に休まされた週末。子供にスマートフォンとパソコン禁止令を出されてしまい(笑)、仕方がないので、自分がブログを書くことの意味を考えていました。今回は、ちょっとした私の失敗談を書いてみようと思います。

 

 

以前、私は別の場所で文章を書いていて、初めのうちは星読みの練習投稿みたいなものを楽しんでいました。でも、それに寄せられるコメントを読むうちに、変な使命感みたいなのを持ってしまって、私が誰かの代弁者になる事を受け入れてしまっていました。その時は、気付きもしなかったんですよね。『問題に対処するのは、誰でもない本人である。』という事に。単なる自惚れでしかなかったんだと思います。

 

 

特別な使命を探し求めていた私に『それこそがあなたのすべき事なんだよ!!』と周囲から言われ、自分の中のちっぽけな正義を振りかざしていました。自分の言いたい事を、自分の口から言えない人たちが、私の投稿のコメント欄で繰り広げる『そうだそうだ!!』には、本来全く意味はなく。その時の私はそれに気付きもせず、そんな人たちの代わりに発言して、いい気になって、単に敵を作っただけで。結局、私は誰からも守ってはもらえませんでした(笑)。それまで共感してくれていたハズの人たちの思惑に、ハマってしまうという現実。敵と戦っている自分と、結局は孤独なんだという自分を、見事なまでに創り上げた私。

 

『人は、自分が思うほど私の事を大切に思っている訳でもない。』

 

と心底傷付いた出来事でした。そりゃあそうですよね。自分が望んでそうしたのですから(笑)。それに、今ならわかりますが、自分を守る事を優先しないなんて、どうかしています。誰が好き好んで『自分が傷付いてばかりの世界』の主人公をやるのかって話です。

 

 

そして、私の最大の失敗は、そこに『正しさ』を求めた事でした。でもそれは、『被害者意識からの正しさ』な訳で…。

 

 

物事にはあらゆる側面があって、『良いも悪いもない』とするならば、私が求めていたのは、自分の価値観で判断した『正しさ』であり、『私を受け入れてほしい』という『願望』。私が負の妄想で描いた通りの『自分を受け入れて貰えていない世界』が目の前で展開されていただけだったんです。自分自身がありのままの自分を受け入れられていなかったからこそ、誰かの役に立つために自分を犠牲にして引き寄せた世界。正直、もうそんな世界を繰り返したくはありません。

 

 

ですから、私は『誰かのため』と思いながら文書を書く事はしていません。何かに対抗しようとも思いません。強いて言うならば、私は『過去の自分』に向けて書いています。自分自身の考えをアウトプットしながら過ごす事で、整理されていくんですよね。ある意味こうやって、自分の過去の傷を癒やしているのかもしれません。

 

 

前に進みながらでもそれが可能だという確かな思いが、私にはあります。だからこそ、失敗したって未来の自分が癒やしてくれると信じさえすれば、いろんな事にチャレンジしてみようって思えませんか?

 

 

自分を今すぐ癒やす方法があるならば、今抱いている気持ちを、そのまま受け止める事かもしれません。そして、日々の気付きや学びの積み重ねによって、傷付いた事の意味を知り、心が癒やされるのだと思います。

 

 

 

 

 

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妄想するだけで現実化って本当?


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妄想ライフクリエイターのMiokkuruです。

 

 

妄想って、ある意味口にしてしまったら現実になりませんか?妄想しただけで引き寄せられるものって、本当にあるんでしょうか?

 


例えば、第三者にもわかるかたちで言葉にする、文字にするって、既に妄想という行動に、『伝達する』という行動が加わっていますよね。相手の意識に届いたからこそ、相手からの働きかけで自分が欲していた物が手に入る事もあるでしょう。言葉や文字って意識しやすいですし、意識しているからこそ、それらの情報も入りやすい。(気付きやすい。)情報に触れていると、さらにイメージと知識が強化されて、行動を起こしやすくなる…。だとすれば、負の妄想をするよりも、楽しい妄想を展開する方が断然良い訳です。

 

 

過去を振り返ってみると、これまで私自身に起こった事は、どちらの妄想も何らかの形で現実化していたように思います。そして、妄想が想像になり、想像を形にする為に行動できるかどうかは、その人の自己肯定感と関わっているのかもしれません。

 

 

『(その状態や、物質が)手に入る!』と『自分には難しい…』なら、前者の方が現実化しますよね。後者の場合は、その時点で諦めてしまって行動できませんから、違う意味でそれが現実化するのだと思います。でも、ここは物質世界。頭に浮かんだものがすぐに手に入る訳ではありません。引き寄せたいなら、イメージだけではなく、手にする為の前向きな行動が必要なんだなと思います(*^^*)

 

 

そしてね、負の妄想をしている人、楽しい妄想をしている人それぞれ、放っている空気が違うと思うのです。自分では自覚がなくても、表情や言動にも表れるものですし、あなたも身に覚えはありませんか?私は大いにありまくりです(笑)。

 

 

不安や不満を口にする事は、誰にでもあります。仕方のない事ですが、ただ、いつもそればかりを口にしていたらどうなるのか、想像はつきますよね。自分から離れていく人もいるでしょうし、逆に自分に賛同する人ばかりが周囲に集まり、口々に不安や不満の呪文を唱えているのですから、それが現実化します。めちゃくちゃ怖くないですか?

 

 

不安や不満の根っこを探りあてて対処しなければ、そこから抜け出すのは難しいです。

 

負の妄想をしてしまうのは、自分ではどうにもできないと思い込んでしまうからかもしれません。でも、自分でどうにかしなければならないとしたら、それは自分と向き合う作業であり、対処するのに誰かの力を借りる事は、悪い事ではありませんよね。

 

私たち大人(特に昭和生まれ)って、『ひとりで何でもできる事』にこだわってしまうところがあると思います。でも、周囲を見渡してみて、とても楽しそうな人ほど、誰かの手を借りるのが上手だったりしませんか?そう、力みすぎている事が、負の妄想をしてしまう原因だったりするんです。

 

最近になってそれに気付いたんですけど、私もまだまだ自分ひとりで抱え込む癖は抜けきっていません。その根底には、人を信じられないという思いがあるのだと自覚しています。でも、目の前の事、人を信じるという現実を今選ばなければ、未来はずっと変わらないままでしょう。なので、自分の意識をできるだけ明るい方に向かわせているんです。そうすると、頭の中で展開する妄想も、自然と楽しい方に変わっていきます。

 

昨年までの私は、家族を信用できずに、自分だけが動き回る事であらゆる現実化をしようとしていました。相手を頼れない(信じられない)という、負の妄想の現実化しかできていませんでした。でも、今は違います。私が変に案じて何とかしようとしなくても、自分で考えて行動できる子供、こうやって毎日文章を書いているだけの私を大切にしてくれる夫。そして、それが望んでいた通りになっている現実。

 

妄想は現実化します。行動力を奪ってしまう負の妄想で現実を創り上げるのか、前に進む行動力を与えてくれる楽しい妄想で現実を創り上げるのかの違いのようです。個人的な見解ですけどね(#^.^#)

 

 

 

 

 

 

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あなたのその選択、大丈夫!?〜問題の根本を理解できているのか?〜


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妄想ライフクリエイターのMiokkuruです。

 

 

例えば、あなたが豊かさを実感できないと感じていて、今よりも経済的な豊かさを手に入れるために、一生懸命資格取得のためや、ビジネスを学ぶための勉強をしているとしましょう。でもその前に『なぜ豊かではないと思うのか?』と考えたことはありますか?


私が何を言いたいのかというと、本当は稼げているけれど、お金の管理が苦手な場合もあるでしょうし、何かのストレスによって浪費している場合もあるからです。だとすれば、資格を取得しようが、ビジネスを学ぼうが『経済的に豊かではない』という事になります。

 

私は不安になると、決まって自己否定を始めていました。そして『ワクワクする自分じゃないから。』『秀でたものが何もないから。』そんな負の妄想を重ねては、資格取得を目標にしてみたり、あれこれと興味を移してみたり(元々、好奇心が旺盛な事も手伝って)と、見当外れな事をしていました。

 

『なぜ、何に対して不安なのか?』

 

という根本を理解しようとしていなかったのです。深く追及する事は、時間をかける必要がありますし、面倒だと感じるもの。おまけに、自分の本心に気付いてしまえば、嫌でもそれに対処するしかなくなるのですから、外から取って付けた方が楽なんですよね(;^ω^)

 

ただ、自分の抱えている問題の根本を知らずに、外付けの何かを得ようとしても、状況を変えられない自分自身を責める結果になってしまっては、悲しいですよね。不安や不足感をキャッチした時、ついついその不足分を補おうとしてしまいがちですが、自分と向き合わない限りは、どんな情報を得ようとしても問題解決にはなりません。

 

 
資格や肩書がある事が豊かさであるという妄想を抱くより、余計なものをくっつけ過ぎて、問題の根っこが深くならないうちに、まずは自分自身のニーズを拾い上げる事が必要ではないでしょうか?それができてはじめて、自分で対処できるのか、専門家に任せるのかの判断ができるはずですですよね。

 

私はこの部分が足りていなかったため、随分と遠回りしてきたように思います。自分の心の違和感を無視せず、丁寧に向き合うって大切です。忙しさを理由に、自分との対話を疎かにしていませんか?悩み事って、ひとつひとつ皮を剥いでいくしかありません。しかも、その作業は、自分自身でするしかないんです。

 

原因が理解できた上で、どんな情報を選び取っていくかも、私たち次第なんだと思います(*´ω`*)

 

 

 

 

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器用貧乏とは呼ばせない


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妄想ライフクリエイターのMiokkuruです。

 

私は、自他共に認める器用貧乏です。正直、ひとつの事を極められない、他人からうまく利用されやすい根性無しです(私の場合 笑)。違うものに興味を移しては『特別輝ける自分の居場所』を探していました。『凄い!!』という称賛も浴びたかったし、とにかく自己承認欲求を満たしたかったんだと思います。それが、使命探しの理由でした。

 

もう私の中では、自分に素直に生きる事が使命であるという答えが出ているので、たとえ周囲に器用貧乏だと思われても、自分のやりたい事を、そう感じるタイミングでやればいいと思えるようになりました。

 

しかも、今後の社会では、一つの仕事を継続して稼げるかと言えば、そうじゃないかもしれませんし、その時々で自分のスキルを活かして食べて行けるなら、『極めねばならない』と執着する事は必要ないとも言えます。

 

これだけ個性が大切と言われる世の中です。単にプロフェッショナルを目指しても、そこにオリジナリティがなければ、多くの中から選ばれる事はないでしょうし、そもそもオリジナリティは、楽しみの中から生まれるものだと思っています。

 

自分を器用貧乏だと感じている人は、今までの常識という視点から自分を見ない方が、たくさんの可能性を見出す事ができるんじゃないでしょうか。

 

言霊の力を思い出してみて下さい。自分の事を『器用貧乏』だなんて言ってる場合じゃありませんよ(笑)。『多才な人』って自分を楽しみましょうよ。そもそも、そうやって色々とチャレンジを続ける事が才能ですよね。

 

だとしたら、あなたは何がやりたいですか?

 

私は、こうやって好きなように好きなテーマで文章を書きたいですし、占星術の知識をもう少し学んで、カードリーディングも楽しみたいです。絵も描きたいし、こだわりのデザインのアクセサリーも作ってみたいなぁ…。書けば書くほどやりたい事が増えてきます。

 

多才な人って、ちゃんと自分のやりたい事は見つかってるんですよね。単に、一つに絞れないだけなんです。確かに稼ごうとするなら、ある一定のレベルまでスキルを上げる必要はありますが、その情熱や行動力は素敵だと思いますよ♪これがメリットだと思いませんか?組み合わせれば、あなたのオリジナルサービスが生み出せるかもしれませんよね。

 

とにかく、器用貧乏だという妄想はヤメです。器用貧乏だなんて呼ばせません(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

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自分らしく生きたいのは大人だけじゃない


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妄想ライフクリエイターのMiokkuruです。

 

『大人は威張ってて、謝りもしないし、すぐ決めつけて怒るばっかり。好きで学校行ってるんじゃないし!』近頃、我が家の子供(中学生)のボヤキが止まりません(^_^;)

 

世間では、大人たちが『自分らしさ』を求めて、これまでの常識に囚われない生き方を模索している中、子供たちはまだ、その常識が色濃くある学校という社会で、窮屈さや理不尽さを感じているわけで。

 

自分らしさを追求しながら、好きなように生きている私も、『家に居られていいな~』なんていう子供からの言葉が刺さりますが(笑)、さすがに母親としてどう言葉を返せば良いものかと、悩むところでもあります。

 

個人的には、子供目線で考えると、未だに古臭くて意味不明な校則が多いんですよね。そして、昭和生まれの先生方(私もですが)は、ドップリと土の時代の【秩序・組織・安定志向】に両足を突っ込んでいるので、柔軟さが足りないように感じます。

 

でもこれは、外側からしか見えない状態であり、子供が体感している事を耳で聞くしかできないからそう感じるもの。実際は複雑なのだと思えば、保護者としてできる事はやっていこうと思うのであります。(人任せにしないって事ですね。)

 

預けているのだからちゃんと教育してほしいし、もしもの責任もちゃんととってほしい保護者たち。預かってあげているのだからこちらの言うこと(校則などのルール)を聞かせたいし、モンスターペアレンツは相手にしたくない教育者たち。どちらの顔色もみなければならない、不満を抱えた子供たち…。この図式がどうにかならないものかと妄想する事もあります。

 

『古き良き』は残して、『古き悪しき(使い勝手の悪いもの)』は、使いやすく変えていく必要がありますよね。学校、家庭教育が、単なる『都合のいい社会人育成施設』にならないために、私たち大人は、何ができるんでしょうか。家庭でどう子供を育てていけば良いのでしょうか。

 

子供が本当にやりたい事は、大人の常識で考えると食べていけるかもわからない事かもしれません。かと言って、何かを始めたいなら今がその時でしょうし、それをやる事で何かを犠牲にする事もあるでしょう。

 

自分らしさを簡単には認めてもらえない不自由さを、子どもたちはどう受け止めているんでしょうね…。

 

 

 

 

 

 

 

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